2006-09-04(月) 09:04:18
 今回の長尺丸太の中で 少し大きめの丸太製材機の台車に固定。

2006-09-04(月) 09:05:40
 太鼓梁と同じように 厚さを決めて 横に寝かせて。

2006-09-04(月) 09:06:23
 角に製材する。

2006-09-04(月) 09:07:56
 長さが6.5m(三間半)あるから 二階まで 通しの大黒柱になる。

2006-09-06(水) 08:48:39
 シウリザクラ4mの丸太。
山桜とは、皮が違うので、わかる。

2006-09-06(水) 08:49:47
 白太が腐れているので、この面では、まだ使えない。

2006-09-06(水) 08:50:55
 さあ、ここで赤太が出てきた。
白太は腐れても、赤太は腐れない。

2006-09-07(木) 08:28:51
 シウリザクラの丸太を反転。

2006-09-07(木) 08:31:53
 製材して 反対側の顔が現れた。
現在、木口の断面は太鼓型になっている。

2006-09-08(金) 14:59:24
 シウリザクラの丸太を太鼓採りしたものを 横に寝かせて大黒柱に製材する。

2006-09-08(金) 15:00:50
 大黒柱の4面の内、3番目の顔が現れた。

2006-09-11(月) 08:53:53
 再び反転して 置いて

2006-09-11(月) 08:54:42
 最後の 四面目が現れた。

2006-09-11(月) 08:57:10
 左側に シウリザクラの大黒柱と栗の太鼓梁 何れも4.4m。

右側に栗の大黒柱と太鼓梁 何れも6.5m。
背割りが入れてある。

2006-09-13(水) 18:34:46
 さて、ここからは 修正挽きを見せます。
数年来製材して 寝かせておいた ヤマザクラ、シウリザクラの
建築材。
大黒柱、太鼓梁、上がり框 などを ねらって 養生しておいたもの。

2006-09-13(水) 18:37:14
 いい色に見えますね。
この方角から見ると みんな 素晴らしい住まいの用材に使えそうです。

2006-09-13(水) 18:38:59
 ところが、木口方向から見ると
太鼓梁にと思って寝かせておいた桜が このとおり。

2006-09-13(水) 18:40:27
 大黒柱に と 楽しみにしていた 角材は このように ねじれています。

2006-09-13(水) 18:45:15
 左側の大黒柱候補は、上方向から背割りを入れたほかに
右横方向にも 勝手に大割れが入って、四つ割れ状態に見えます。

右側の柱候補は 大きくねじれています。
やはり、長くて 大きな断面の大黒柱は 貴重品なんですね。
数ある中から ごく選ばれたものだけが 大黒柱や上がり框として使われるのです。

2006-09-14(木) 11:01:44
 これらは 4mに仕上るには 角目が 小さくなってしまうので、やむなく 3mのところで切る事にします。
右側の面付きの上がり框は 2mに切ります。

2006-09-14(木) 11:04:37
 上の面は 帯鋸で修正挽きした面。
左側の面は これから 修正挽きをする面。

2006-09-14(木) 11:09:22
 最初の2本は 修正挽きが終わっています。

これらは、ナンバー、サイズ、価格を記入して、
当社サイト http://www.junbokukagu.co.jp の中の “大黒柱販売”のページに載せる事になります。

2006-09-18(月) 17:35:20
 盛岡ショウルームで “31年目に作ったモノ展”開催中。

岩泉純木家具は 1975年10月設立。31周年記念。

2006-09-18(月) 17:36:37
 材木町の栄沢稲荷例大祭

2006-09-19(火) 18:14:50
 EBAシンポジウム2006 “いのち”紡いで
9月16日 名古屋に行ってました。
名古屋の酸素屋さん 株式会社 エバ の恒例のシンポジウム。
ゴジカラ村(愛知たいようの杜)で行われました。
暗いニュースが多いこのごろですが、だからこそ“いのち”紡いで、つまりつながりを実感するようなシンポジウムでした。

2006-09-19(火) 18:19:42
 最初の講演は 上田紀行さん(文化人類学者)
“がんばれ仏教”“生きる意味”などの著書が話題作です。
EBAシンポジウムのコーディネーター、講師として、今年が10回目ということです。
各地の大学入試の試験問題にも採り上げられた“生きる意味” みなさんもご一読を。

2006-09-20(水) 11:04:37
 2番目の講師は さとう うさぶろう さん。 うさとデザイナー。
さとうさんは タイ王国の古都チェンマイで、エイズに苦しむ患者さん達に 手紡ぎ・手織りの布作ってもらい、ご自身がデザインされた衣服にして販売する事により 生活と精神的に支援しておられる方です。
今回の講師の方々をはじめ、会場に参加された方々にも うさぶろうさんの衣服を召してらっしゃるファンが結構見受けられました。
とても着心地が良くて 手放せないといいます。
“あいを よる おもいをつむぐ こころをむすぶ”“うさと”
 汲、さと ジャパン 京都市中京区衣棚通三条上ル突枝町126
TEL 075-213-4517 FAX 075-213-4518

2006-09-21(木) 16:11:29
 3番目の講師は 長野県 神宮寺住職 高橋 卓志さん。
高橋さんは神宮寺の住職の家に生まれ、子供の頃から「お寺の坊主になるのはいやだな」と思っていたそうだ。生徒の仲間から「お前は人が死ぬと喜ぶんだろう。葬式でお金が儲かるから」と言われ、めげていたそうだ。ある時、アメリカとの戦争で壊滅的打撃を受けたビアク島への慰問団への同行を頼まれ、現地の洞窟に入った。
地下50mほどの洞窟。30cm程は泥んこ状態。そこには無数の銃弾で穴の空いたドラム缶がごろごろ転がっている。足に当たるごつごつした石のかけらと思ったものは すべて人骨。おびただしい骨が累々と積もっている。この洞窟に篭り、ガソリン入りのドラム缶を投げ込まれ、銃撃をあびせられて殺された二千人の遺骨だ。
「さあ、経を唱えろ!」と言われ、般若心経を唱え始めた。

2006-09-21(木) 16:41:09
 途端、慰問団の一人の未亡人が泥の中に身を投げ出し、慟哭(どうこく)した。その女性は結婚3ヶ月で夫に召集令状が届き、新婚の夫は出征、まもなくビアク島で名誉の戦死という紙と小さな石ころが入った遺骨箱が届いたそうだ。既におなかには赤ちゃんができており、戦後、女手ひとつで娘を育て上げ、一息ついた頃、慰問団参加を思い立ったという。生きていくのに夢中で、夫がどんな環境でどんな死に方をしたのかなど想像もできなかった。しかし、ここに来て初めて、その“むごたらしさ”が身にしみたのだそうだ。
この経験から、高橋さんは「仏教は、どうしたら人間の役に立つ事ができるのか」「仏教に携わる一人として、どのように生きるべきか」真剣に考えるようになり、チェルノブイリ原発爆発で後遺症に苦しむ人々を訪れること32回をはじめ、世界で困窮している人々に手を差し伸べる活動を実践している。

2006-09-22(金) 09:16:10
 4番目の講師は 長野県 諏訪中央病院名誉院長の 鎌田 實さん。
鎌田さんは しょっちゅう、テレビやラジオでお目にかかったり、耳にしたりしているので、初めてという感じがしなかったが、まさか自分より1年だけ若いとは思ってもいなかった。
主な著書:『がんばらない』『あきらめない』『病院なんか嫌いだ』『生き方の コツ・死に方の選択』『雪とパイナップル』『鎌田 實・いのちの対話』『それでもやっぱりがんばらない』『いのちとユーモア』(以上集英社)『がんに負けない、あきらめない コツ』(朝日新聞社)『こどもたちの命 ー チェルノブイリからイラクへ』(岩波ブックレット)『この国が好き』(マガジンハウス)など。
15年間チェルノブイリの救護活動に参加し、色々な賞を受けておられる。また、NHKラジオ「深夜便」「鎌田 實・いのちの対話」NHKテレビ「人間ゆうゆう」「心の時代」「視点・論点」「クローズアップ現代」「ものしり一夜づけ」「人間講座」等に出演する傍ら、ドキュメンタリー映画「ナージャの村」プロデュース。CDジャズ・アルバム「ひまわり」坂田 明をプロデュース など多彩な活動。
現在:名誉院長、チェルノブイリ連帯基金理事長、日本・イラクメディカルネット代表。よく“がんばる”(笑い) ひとです。

2006-09-23(土) 16:53:24
 4人による パネルディスカッション
 向かって左から 上田 紀行さん、鎌田 實さん、高橋 卓志さん、さとう うさぶろう さん、それぞれ 普段からコンタクトを取り合いながら行動している方々なので、特段、異論が有ろうはずも無く、ディスカッションにはならなかった というのが私の感想です。

2006-09-25(月) 08:17:57
 長尾ゆうたろう(フラメンコギタリスト)、壱太郎(和太鼓) 両名のコラボレイション。
EBAのスタッフが、屋外にステージを用意したのだが、あいにく台風13号の影響で昼食時に少々降雨があり、屋内に変更して演奏ということになった。

2006-09-25(月) 08:26:58
 壱太郎の熱演。
彼は、佐渡の鬼太鼓座(おんでこざ)出身。
鬼太鼓座は、当サイトとリンクしている“しゃぶbar柏木”(大阪府吹田市)のオーナー兼マスターが23歳のとき立ち上げた和太鼓集団だ。

2006-09-26(火) 10:34:15
 一通り演奏が終わったが、午後から雨も止み、地面も結構乾いてきたので、せっかく作ったステージで、再度 演奏を ということになり、 全員 外に出て 屋外ステージで 楽しむ事になった。
演奏の後は 中に入り交流会。
エバ社長をはじめ、スタッフ、ボランティアで協力してくださった 多くのみなさん ありがとうございました。
宿に帰って テレビをつけたら 鎌田 實さんが NHK のスタジオに入って出演してました。名古屋から東京まで すばやく帰られたんですね。

2006-09-27(水) 09:18:41
 PARC自由学校から工房見学が訪れました。
9月22〜23日 一泊2日で 工房および環境を学ぶ教室がありました。
PARCとは 特定非営利活動法人 Pacific Asia Resource Centerの略称で アジア太平洋資料センターの活動の一環です。今回は『自由学校』という一つのカリキュラムです。
自由学校は、自分たちの暮らしが世界とつながっているという視点から、世界を知り、そのことを通して日本社会をとらえかえしていく学びの場です。
受講生自身がアジアをはじめとした世界の現実を知り、どう変えていくのかを考え、議論し、オルタナティブな社会を構想していくことをめざしています。講座案内はいつでも請求できます。

TEL:03-5209-3455 FAX:03-5209-3453
URL:http://www.parc-jp.org/

2006-09-28(木) 09:14:46
 『最後にサプライズが みんなありがとう』EBAさんからのメッセージ EBAシンポジウムの最後に、こんなサプライズ、感動を誰が想像したろう。
それは、7月のシンポジウムの応援団とEBAスタッフによる打ち合わせ会で「ライブをゴジカラ村の幼稚園の森でやりたい!」「そのために我われの手でステージを作ろう!」というみんなの想いから始まっていた。ステージ作りの作業は、8月から9月にかけて蒸し暑さとやぶ蚊との戦いの中で3日間、延べ100名のスタッフによって行われた。ステージは、指導いただいた棟梁のアイディアもあり、葉っぱの形だ。

2006-09-28(木) 09:30:08
 雨降りを警戒して、森の幼稚園の屋内で演奏を終えたが、使うことがなくなった外のステージ上で、作るとき指導してくれた棟梁が一人座り込んで、さみしそうにビールを飲んでいるという。
そこで、私も缶ビールを手にしてステージへ向かった。棟梁は明らかに寂しそうだった。いや、暗くて分からないが、涙が浮かんでいるようにも思えた。 私は思い切って話した。「棟梁、時間はまったくない。今からでもステージは使えるだろうか」。棟梁は、はっきり言った、「このステージを作った奴らならできる!」と。
私は、棟梁と、「よし、やろう!」と、ビールを飲み干した。
ということから、屋外のステージで再演奏となった次第。
EBA社長からのメッセージでした。

2006-09-29(金) 08:15:57
 PARC自由学校の工房見学に参加された方から 写真が届きました。
工房から 宇霊羅(うれいら)を見上げています。
岩泉を象徴する山で、標高600m です。
全体 石灰岩でできており、双眼鏡で見ると 崖にも鍾乳洞がいくつか見られます。
この山の裏側に 日本三大鍾乳洞のひとつ『龍泉洞』があります。

2006-09-29(金) 08:31:02
 岩泉町 小本(おもと)にある 御殿崎自然休養林でグリーンアドベンチャー。
岩泉町は 北緯39度から40度にあり、落葉広葉樹の樹種の多いことで知られています。
岩泉町は 内陸に近い 早坂高原付近だと、ブナ、ナラを主とする 樹種10種類ほどの、比較的、単純な林層ですが、太平洋岸にある御殿崎では ざっと30種類もあり、樹を見て 名前を覚えるには最適の森です。
御殿崎は、魚付き保安林に指定されており、崖のすぐ下は、鮭・鱒の定置網魚場です。斜面には樹齢300年を越える赤松が生えており、平地の森はミズナラを主に、セン、カシワ、アサダ、アカシデ、ウリハダカエデ、イタヤカエデ、ケヤキ、ミズメ、ヤマボウシ、ハクウンボク、その他多数の樹種があります。