2006-10-02(月) 09:33:21
 10月になりました。
冬に備えて 木屑をプレスして 薪ストーブで燃やす ヴァイオマス燃料=ブリケッティングを貯め始めました。
暖かい季節は 工房のスタッフが 順番に持ち帰っていますが、これからの季節は 工房優先です。
1袋=30キログラムほどあります。
この中には、セン、クリ、クルミ、ニレ、ミズメ、サクラなどの鋸屑が混じっています。
一切の添加物など使用せず、圧力を掛けて押し出しただけの 固い無公害の燃料です。

2006-10-04(水) 09:25:32
 秋の季節 現れるのが クスサン(楠蚕)です。
羽の大きさが左右で90〜120mm 羽ばたくとバサバサと音がします。
冷えた夜、豊作?の年には 外灯にバッサバッサと群れて集まります。
幼虫は、クリ(栗)、クルミ(胡桃)などの葉を食べて育ちます。緑色の胴体に白色の長めの毛が生えているので“シラガタロウ(白髪太郎)と呼ばれます。
まぁ、詳しくは専門家にお任せするとして、秋深まりつつある岩泉の隠れた“風物詩”です。

2006-10-06(金) 09:18:50
 『第3回純木家具デザインコンペ』
 昨日(10月5日)締め切りでした。
デザイン製作中で 2〜3日遅れで 間に合いそうな方は、ご連絡下さい。
表彰式は 12月15日(金)PM7:00 東京 田中八重洲画廊にて行います。

2006-10-10(火) 09:22:50
 岩泉純木家具-モリオカショウルームに現れたのは、
フィンランドの家具デザイナー Rudi-Merz 氏夫妻。
自身も工房を持ち、週3回くらいはフィスカース工芸村のNIKARI社に姿を見せる。
今回の来盛は、FISKARSのエキシビションが仙台市で開催されており、
東北工業大学での講演に招かれたついでに、6年前息子が世話になった礼に立ち寄ってくれた。
ショウルームの前に立っている栓(セン)の樹の姿・葉を手にとって見て、初めて見た! と、感心を持っていた。

2006-10-11(水) 14:54:00
 岩泉純木家具のスタッフ集合写真です。
後列中央に立っているのが フィンランド NIKARI社のオーナー兼デザイナーのKari-Virtanen氏です。
1999年でしたが、このとき工房を見学して帰り、ある提案をよこしました。「お互いの工房の若者を交換研修しないか?」というものです。
無論、OKしました。 翌年、1月29日 NIKARIの若者が岩泉にやってきました。 それがMikko-Merzでした。

2006-10-11(水) 15:07:55
 Mikko-Merzは、主に 日本の手鉋、鑿(ノミ)など、手道具の研ぎ、仕込み、削り方を修行に来たのです。
4月中旬まで居て、京都方面を見学して帰国しました。
Mikkoは、岩泉に来る前、アフリカのケニアに青年海外協力隊で、木工指導に行ってたり、岩泉に居る間にも韓国ソウルの“木・金・土”ギャラリー?とかでフィンランドの工芸展を開催していて、そのときは、ソウル大学で『フィンランド工芸の現状』講演をしてきたと言ってました。
今回、父親のRudi-Merzに聞いたところ、現在は、ヘルシンキ工科大学建築家の2年終了、モデリング講師とのことでした。

2006-10-12(木) 09:27:55
 Mikkoが帰国して間もなく、当工房から佐々木達也がフィンランドフィスカース工芸村の NIKARI社に修行に行きました。
写真 前列右から二人目が 彼。
彼が行っていた当事は 家具というより 建具やサウナ製作の仕事が多かったようです。
フィンランドサウナは有名ですね。

2006-10-12(木) 09:32:38
 さて、Mikkoの父親、Rudi-Merzは、当ショウルームの椅子に座って、「この椅子は、低過ぎる」と言いました。
私は「ここは日本だからね」と。 彼は身長185cmなんですから、日本人の平均身長では 低すぎるのは当たり前でしょう。

2006-10-13(金) 09:13:09
 その後、盛岡市 紺屋町の『釜定工房』を見学しました。
こうぼうの主人は 宮 伸穂 氏。
伝統の南部鉄瓶、南部鉄器をはじめ、ご自身のデザインで現代の生活にマッチした キッチン用の様々な鉄器を製作・販売しています。
また、岩手県と北欧とのデザイン交流事業にも積極的に参加し、フィンランドのデザイナー シモ・ヘイッキラ ヘイッキ・オルボラ 両氏の提案も取り入れ、北欧で使う鉄器を創作し、フィスカース工芸村のエキシビションホールで、展示会を開催中です。

2006-10-13(金) 09:30:42
 一通り 盛岡の見学を終えた頃
三々五々 市内のクラフトマンが集まってきて、恒例の ノミニュケーションが始まりました。
Rudi-Merz氏の右隣には、今回、通訳を兼ねて同行してくれた NIKARI社の取締役 坂田氏が座っています。
彼女は NIKARI社のオーナー兼デザイナーのKari-Virtanen氏と共同で、フィスカース工芸村の一角に 150年ほど前にFISKARS社の鋳鉄工場だった建物を取得しています。
その古い工場で、南部鉄器の技術を導入して鉄器を製作して世界に向かって販売する計画を進めています。
因みに、NIKARI社に今年、日本人の女性が新入社員として採用されたそうです。フランスで5年間デザインを修行し、1年間ヘルシンキ工科大学で研修した“優れもの”で、しかも魅力的で、Kari氏も喜んでいるとのこと。うらやましいですね。

2006-10-14(土) 10:59:46
 盛岡泊まりの翌朝、
今日は、Rudi-Merz夫妻の案内役は、市内のクラフトマン夫妻が、してくれるので、北上川に掛かる旭橋を渡って材木町へ。
北上川の右側が材木町。
旭橋の上流に掛かっているのは夕顔瀬橋。遠方にそびえる岩手山。
そう、この朝、岩手山は初冠雪だった。平年より4日早く、昨年より14日早いという。今年の冬は厳しいかな?

2006-10-15(日) 11:28:05
 台風17号崩れの大型低気圧が吹き荒れたあと、久しぶりに川が増水した。
岩泉町では、安家川の増水が ひどく、学校の体育館に住民が避難する騒ぎとなり、テレビ、ラジオで報道された。
その晩は、友人・知人から「工藤さんの家は川の傍だから大丈夫?」という電話がしきり。
ここ 小本川の支流 清水川も30年に1回くらいの水量だった。
3日ほど経ってから「そろそろ上ってくる頃だな」と思いながら川を覗いていた。やはり居た。はるばる北の海から帰ってきて、ふるさとの川を遡上してきた鮭たちだ。
川の瀬の近くに1匹発見。

2006-10-15(日) 11:35:41
 ここに 1匹 いますが、先ほどまで ここには ペアがいて
産卵が始まるところだったのです。
この1匹が下から追い上げてきて、それで ペア は瀬の方に 逃げてしまったのです。
ここの2〜3m ほど右側上には、湧き水が出ていて、石を並べて池を作っていたのですが、増水で壊されてしまいました。

2006-10-15(日) 11:49:24
 さきほどの写真の2〜3m 下流には 別なペア が産卵しています。
きれいな川だから、どこにでも産卵するかというと、違います。
必ず、伏流水(湧き水)が 有るところでしか産卵しません。
ですから、毎年、増水すると、ここで(自宅の脇で)この情景を見ることができます。
なぜ、増水しないと見られないかって?
川が太平洋に出る河口で漁協の人たちが網を張って魚獲し、販売したり、人工授精して稚魚を育て、放流しているからです。
台風がくるぞ! という日には、網が壊されてしまうので、予め、網を引き揚げているから、鮭が上がってくることができるのです。
ここは、河口から約20キロメートルほど上流です。

2006-10-18(水) 09:02:33
 アジサイの傍で産卵している メスの鮭。
けっこう 大きな魚体です。
20年ほど前の事、シアトルを2年続けて旅行したことがあります。
シアトルの郊外に小高い丘があり、その上にサケ人工孵化施設があった。施設の庭に小さな池があって、その池からチョロチョロと少量の水が流れる。その水路は70cmくらいの幅でただの板道状の魚道だった。その坂道を大きな紅サケがあえぎあえぎ 這うようにして必死に登ってくる。とてもかわいそうで、見ていられない状況だったが、ようやく池の水口までたどりつき、体を池の中に滑り込ませた。この厳しい試練に耐えたサケだけが子孫を残す事が出来るのである。岩手の河口まで帰ってきたサケを川に遡上させずに、人工孵化によって誕生させられた稚魚は、北洋という国際競争の場で、あのような厳しいサケの子孫たちと対抗して、はたして生き抜いていくことができるのだろうか。河口で捕獲ということを続けるならば、サケの人工孵化事業の採算性を危うくするばかりでなく、岩手の川を母川とするサケ族の突然の絶滅という悲劇に手を貸す事になりかねないか。川を上ったサケたちは、自然淘汰という競争をし、清水の中で、気持ちよく産卵できる。これが自然だ。

2006-10-21(土) 16:43:15
 岩泉純木家具で使用している 栓(セン)という樹種は
一般の方々は 実際に見たことが無いのではなかろうか。
ここで、紹介してみよう。
樹齢10年くらいのセンノキ。
盛岡・材木町の純木家具ショウルームに立っている。

2006-10-21(土) 16:45:09
 下から見上げると 天狗の葉団扇のような
大きな葉を 広げている。

2006-10-22(日) 14:57:30
 栓(セン)の樹幹。
幹の周りに刺が生えているので セン とわかる。

2006-10-22(日) 15:35:08
 更にカメラを近づけて クローズアップ
するどい 刺が 一杯ある。
東北から北海道で産する。
もう35年以上前、米国に行った時、セン そっくりの合板を見つけた。 「これは何という木なの?」と質問したら、「セン と言うんだ。北海道から輸入している」という。「アメリカにも在るの?」
「いや、アメリカには無い」ということだった。
日本特有の樹種なのだ。
岩泉純木家具が国産広葉樹の中でも、操業当初から、主としてセンを使用しているのは、“日本固有”ということでもあった。
因みに 木の事典を見ると “北は樺太、南千島、北海道、本州、四国、九州にもある。また、満州、中国、朝鮮にも見られる”とある。
“大きいものは高さ25mくらい、直径1mくらいまでになる。とにかく、すべてに男性的な樹である”と評されておられる。

2006-10-26(木) 10:01:31
 『2006木の家具展』 予告

 25年続く『木の家具展』

2006-10-26(木) 10:19:03
 最初は 銀座十字屋レコード店 3階のギャラリーだった。
12名の若手木工家が出品した。
2回目は11名。一人が仕事中に手に負傷。出られなくなった。
3回目のとき、十字屋はビルを解体、新築を機にギャラリーは無くなった。
それから、現在まで 中央区八重洲の『田中八重洲画廊』に入った。
以来、23年間、お世話になっている。
メンバーの廃業もあり、長年 5名で開催している。
50音順で挙げると 愛知県蒲郡の井崎正治、岩手・岩泉の工藤 宏太、長野・戸隠の川口清樹、長野・小諸の谷 進一郎、青梅・冨岡の野崎健一の5名だ。
毎年、打ち合わせをし、テーマを決める。各自の役割り分担(DM作成、広報担当、会場パンフレット、会場看板係、そして会計)。
毎年、会場スペースを入り口から奥まで、順番に移動する。
今年のテーマは『いつまでも元気で暮らしたい 25年目につくる物は』

2006-10-27(金) 16:34:01
 『第3回純木家具デザインコンペ』

10月5日締め切りで、45点の応募がありました。
浅草、南青山、長野、盛岡、企画担当の工藤、そして本社の工藤。
6者の評価を合計して入賞作品を決定します。
評価点FAXは 今日が締め切り。
数日で この窓でも 発表できるでしょう。

2006-10-30(月) 09:38:22
 『食器棚の設置』

仙台の顧客から 新築にともない、食器棚とキッチンカウンターを特別注文したい。樹種はミズメザクラで、という依頼を受けたのが今春2月だった。
新築工事も 間もなく完成という9月末、納入設置に伺いました。
地震の時に倒れないように、壁にしっかりと止めています。
あらかじめ、壁の中に必要な下地を入れておいてもらったのです。

2006-10-30(月) 09:46:14
 『キッチンカウンター設置』

カウンターを切り抜いてシンクを取り付けました。
カウンターの周囲には1本の上がり框材から採った柾目の腰壁板を使ったので、木目や色調が揃っていて きれいです。
リビングの左官工事がまだ残っているので鉄パイプの足場が組んであり、搬入には ちょっと苦労したが、無事に完了した。
岩泉純木家具では、家具の顧客にご希望があれば、住宅の必要な部分も製作している。

2006-10-30(月) 10:24:30
 『シンクの切抜きでチェア』

 顧客のたっての希望で、カウンターからシンク部分を切り抜いた材料で、ミズメザクラのチェアを製作。
座板の断面中央に雇い核(やといざね)が見えます。