岩泉純木通信Iwaizumi Jyunboku Times

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少しずつ周囲の情報が落ち着いてきましたので、弊社の復興情報も
1日1回をめどに投稿していこうと思います。

被災後、あまり始業就業の時間を厳しくせず、体力と相談しながら泥のかき出しをしています。

通勤路の、B&G海洋センター裏。
ここは冬は雪捨て場になり、夏は横のプールで開かれる水泳大会の臨時駐車場になるところ。
昔はゲートボール場でした。
そこが、今は瓦礫と泥、被災物品置き場に。ここ数日で一気にかさ増しになりました。
うちの工房のものも、まだまだあります。どこまで増えるのか想像もつきません。
これらが毎日使われていた、すべての家庭や事業所が泥水をかぶりました。
いったい、どれほどの人たちの生活に影響しているんでしょう。
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昨日からボランティアの方々を派遣してくださっています。
かねて投稿している通り、ボランティアの数は大幅に不足しておりますが、
うちは被災面積が大きく、長期化すると瓦礫処理等への影響が懸念されるためでしょうか、
昨日は中学生含め20名、今日は一般のみ12名という、大きな人数を派遣してくださいました。
それに、これまで毎日、友人知人が手伝いに来てくれています。
盛岡から6時間もかけてきてくださった方、我が事のようにつらい表情で黙々と作業してくれた友人。
どんなお礼を言っていいやら、言葉が見つかりませんでした。
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そのおかげで、泥はみるみる減っていきます!
どっぷりと黒い泥に埋まっていた機械が、しだいに姿を現してきました!!
これらの機械、もしかしたら、うちのスタッフだけだと、
掘り起こすのに1か月以上かかるかもしれないと思っていました。
それがなんと数日で叶ったんです!
ほんとうに、ほんとうにありがたいことです。
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洪水になると困るのは泥だけではありません。瓦礫や物の散乱も、大変な状況です。
作業場のビフォーアフターも載せました。膝まであろうかという重い泥の上に、
作ったばかりのテーブルや、作業台や、梱包材や、棚や、外から流れ込んできた流木まで、
あらゆるものがまるでカレーライスのごとく、部屋にたまっていました。
それがみるみるうちに片づけられ、床が見えるように。
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ボランティアの方々は、各地で災害のたびに活動していらっしゃる方も多く、
こういった作業は手慣れていらっしゃるそうです。
特に現場を取り仕切ってくださるリーダーの方は、人を動かすのがとてもお上手で、
そのおかげで大人数でさらに効率よく動いていただけました。
私などが指示だししたら、半分もいかなかったかもしれません。
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もうひとつ、大きな力になってくれたのは重機です。
近所の一般家庭の泥除去と並行して行ってくれていまして、
ついでに水没したうちの車もけん引して邪魔にならない場所まで運んでくださいました。
白い小型ダンプは業者さんのものですが、なんと会津ナンバー!
自衛隊や警察、消防、電力関係、土木工事など、東北やその周辺各地から、
数え切れないほどの方々が、岩泉や、周辺市町村を助けに集結してくれています。
全体としてはまだまだ先が見えない岩泉ですが、お力をお借りしながら、一歩ずつ前に進んでいきます。
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悲しいこともありました。
水をかぶった機械は、それが乾くとすぐに錆びてきます。
ルーターの作業テーブルは翌日には赤茶けてしまい、もの悲しくたたずんでいます。
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そして今日は、1週間ぶりに泥の中から、最年長の職人の鉋(かんな)や鑿(のみ)が掘り出されました。
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でも、もしこれが愛する家族だったらどうでしょう?
実際に、何人もの方々が犠牲になってしまいました。
それに比べたら、私たちの被災など軽いものです。
言い方は悪いですが、命と違ってお金で解決できるんですから。
自宅がだめになってしまった人たちのためにも、私たち自身、全力で復興に取り組んでいきます!
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今日お手伝いいただいたボランティアの方々。
そして、写真には撮りませんでしたが、泥まみれで手伝ってくれた親しい方々。
心から感謝申し上げます。
私たちは、笑って、前を向いて復興に邁進していきます。
泥なんてなんだい!
(藤田和日郎作 うしおととら より)